『複製技術時代の芸術(ベンヤミン)』要旨・要約、感想とレビュー

『複製技術時代の芸術(ベンヤミン)』要旨・要約、感想とレビュー

『複製技術時代の芸術』の基本情報

書籍名:複製技術時代の芸術
著者名:ヴァルター・ベンヤミン
翻訳者名:佐々木基一
発行:晶文社
発行年:1999年

『複製技術時代の芸術』のキーワード

カテゴリ:哲学、美学
キーワード:複製技術、アウラ

『複製技術時代の芸術』のレビュー

はるか昔、芸術が神の顕現としてみなされる時代があった。

かつて芸術は複製不可能な美しさの表現であり、そこに唯一性ゆえの神秘が現れていたからである。

しかし、写真や印刷技術の普及に伴って、大部分の芸術は複製可能になった。その複製可能性によって、芸術は神性を失い世俗化するに至った。

写真技術の確立から1世紀が経った今、大衆化した芸術は単なる娯楽へと堕落してしまっているように見える。

一体、複製技術の何が芸術を変容させてしまったのか。

答えはベンヤミンの思想の中にある。

『複製技術時代の芸術』の要旨・要約

時代は今(20世紀初頭)、写真や映画などの大規模な複製技術を受容しつつある。このような時代の変化を受けて、芸術もまた大きな変化を迫られている。

複製技術がなかった時代、芸術作品は「今、ここにしかない」という一回性を持っていた。

スペイン・アルタミラにある古代の人類の壁画は、その時その場所でしか描かれなかった。従って、作品の価値はその作品が作られた文脈によって決まっていた。

また、崇高な芸術作品は、その作品が「今、ここ」にしかないという事実によって、礼拝的な価値を持っていた。芸術作品自体が、一種の神秘とみなされていたのである。

複製不可能な芸術作品が持っていた一回性・文脈的価値・礼拝的価値を、ベンヤミンは「アウラ」(aura)と呼んだが、複製技術の到来によって芸術作品はアウラを失うことになった。

複製技術が到来した時代を象徴する芸術として、ベンヤミンは写真と映画を挙げている。

写真はいくらでも焼き増しできるし、映画はどこででも上映できる。「今、ここ」というアウラの性格は、写真や映画にはない

しかしアウラの喪失は、決して悲観すべき事態ではない。アウラがないことによって、芸術は個々の背景・文脈を越えて、それ自体として評価されるようになった

また、芸術作品をどこでも展示できるようになったことで、その価値が特定の個人ではなく不特定の大衆に開示されるようになった。芸術はもはや高貴な人に占有される文化ではなく、一つの大衆文化となったのである。

『複製技術時代の芸術』への感想

ベンヤミンは、複製技術によって芸術は大衆のものになると予言した。

21世紀の現在の状況を見る限り、その予言は概ね当たっていると言えるだろう。

だが残念なことに、芸術の大衆化は、大衆によって芸術の価値が遍く認められることを意味しなかった

今や芸術は、娯楽として・日々の活動の余興として認識されるようになっている。何を当たり前のことを、と思う人がいるかもしれないが、かつて芸術は宗教に生きる人々にとって必須の文化だった。

何をおいても、芸術だけは守られなければならない。そういう時代が確かにあったのである。

それが今や、芸術は国家によって真っ先に切り捨てられる対象になっている。

芸術は娯楽なのだから、必要不可欠ではない。余裕のない時代に、芸術は必要ない。そんな考えが、さも当たり前であるかのように嘯かれるのが現代という時代である。

宗教のない時代に、芸術はもはや必要ではない。この凝り固まった「常識」に穴を穿つのが「存在論的美学」である。

芸術は特定の対象の美性を扱うのではなく、私たち人間を含むあらゆる存在が「存在すること」を描き出す。

私たちは「存在する」以上、芸術の営みから無関係ではいられない。私たちがいかなる文化的趣味を持っていたとしても(全く持っていないとしても)、私たちは芸術に無関心ではいられないのである。

存在論的美学は、言葉にすると難しく聞こえるが、おそらく多くの人が直感した経験のある事実を改めて言い直しているに過ぎない。

本物の芸術は、何か特定の対象が美しいのではなく、そのあり方自体が美しい。その芸術は、その美しさによってこの世界の真実を一挙に照らし出してしまう__そんな体験を適切に記述する言葉を、今の私たちは持ち合わせていない。

だからこそ、この純然たる美しさの経験を言葉にするためにこそ、存在論的美学の構築が必要なのである。

『複製技術時代の芸術』と関連の深い書籍

  • アガンベン著:岡田温司・栗原俊秀訳『裸性』平凡社、2012年。
  • アリストテレス著:三浦洋訳『詩学』光文社、2019年。
  • カント著:篠田英雄訳『判断力批判』(上・下)岩波書店、1964年。
  • ハイデガー著:関口浩訳『芸術作品の根源』平凡社、2008年。
  • バウムガルテン著:松尾大訳『美学』講談社、2016年。
  • バタイユ著:酒井健訳『エロティシズム』筑摩書房、2004年。
  • ヘーゲル著:寄川条路他3人訳『美学講義』法政大学出版局、2017年。
  • ペルニオーラ著:岡田温司・鯖江秀樹・蘆田裕志訳『無機的なもののセックス・アピール』平凡社、2012年。

 

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