はじめに

こんにちは。ライターのらりるれろです。今回は、【知識のいらない哲学】第一回ということで、「ゲームをする」という日常的な行為から哲学を始めてみたいと思います。

皆さんゲームは好きですか?私が小さい頃はみな専用のゲーム機(Wiiとかプレステとか)を持って、友達の家に集まってワイワイやっていたものですが、今ではスマホでゲームできるようになって、より多くの人がゲームに親しむようになっていますよね。

三度の飯よりゲームが好き!願わくば一生ゲームをして生きていたい!そんな方々のために、この記事では「なぜゲームをするのか」という問いをもとに、ゲームをするという行為の可能性を哲学的に考えていきます。

それでは早速始めましょう!

ゲームから始める哲学①:ゲームとは何か

さて、まずはゲームって何だっけというところから問いを始めましょうか。

皆さんスマホを持っていますかね。スマホゲームの一つや二つインストールされて……いますね。

皆さんがそのスマホゲームをするとき、ログインして、アカウント作成して……といった感じで、特定の手続きに則ってプレイすることになりますよね。ということは、ゲームとは何らかのルール(取り決め・枠組み)の上で行われるものだということが言えそうです。

もちろんルールだけあってもゲームはできません。ゲームは、ルールを共有する複数の人がいて初めて成立します。逆に言えば、ルールとそれを共有する共同体があれば、ゲームはゲームとして成り立つのです。

ゲームから始める哲学②:ゲームと社会

ゲームをゲームたらしめるものが「ルール」「ルールを共有する共同体」であるならば、社会全体も一つのゲームと言えそうな気がします。

ゲームから社会へ一気に議論を膨らませたいところですが、あえてここで一度立ち止まりましょう。皆さんも一呼吸おいてリラックスしてください。

ゲームには必ず作成者がいます。ゲームのルールは、その作成者が目的を持って作ったものです。「何を当たり前のことを唐突に」と思われるかもしれませんが、社会のルールは必ずしもそうなっていません。例えば私たちが使う日本語は、予め日本語としてのルールがあったわけではありません。遥か昔の日本人たちが意思疎通のために使っていた言語が長い間使われる中で、自然とルールらしきものができていったのです。

このように、ルールには自然に形成されるルールと、人工的に作られるルールがあります。確かに、社会全体も「ルール」と「共同体」からなる「ゲーム」だと言えるのですが、社会の中のルールは自然に形成されたルールが多いので、かなり理解しにくい部分があったり、実態として可視化されにくい部分があったりします。

社会も一つのゲームであるのに、その中で生きている私たちがゲームの中で生きているように感じられないのは、こうした理由があるからだと想像がつきます。

ゲームから始める哲学③:やがてゲームが世界になる

ゲームについての基本的な考察を終えたところで、いよいよ本題である「なぜゲームをするのか」という問いに向かいましょう。

ゲームの中では、そのルールが可視化されています。ルールが意識されていなければゲームをうまくプレイできないからです。ゲームをうまくプレイするとは、可視化されたルールの上でうまく振る舞うということなのです。

ところで、ゲームの中のルールは、社会の中に存在する無数のルールのうちのどれかから継承されているか、もしくはそれに類似しているはずです。既存のルールのいずれにも似ていないルールなど、ゲームの中で作りようがありません。仮にゲームの作成者が天才だったとしても、そんな独創的なルールを作っては誰も共有できなくなります。

ということは、あるゲームのルールAの上でうまく振る舞える(うまくプレイできる)ようになれば、ルールAに類似する社会のルールB・C・Dの上でもうまく振る舞える可能性が高くなります。ルールB・C・Dの上でうまく振る舞えるようになれば、それらのルールに類似するルールE・F・G……でも同様に振る舞えます。

以下同様に繰り返していくと、最終的にはこの世に存在するルール全てが可視化され、あらゆるルールの上でうまく振る舞えるようになります。つまり、世界全体のルールを可視化して、世界全体をゲームとしてプレイすることができるようになるのです。

もちろん人生は有限ですから、理解できるルールの量には限界があります。しかしある一つのゲームが上手くなれば、そのあとはどんどんいろんなルールに適応できるようになる。やがては自分の身の回りの世界全体で上手く立ち回れるようになる。したがって、ゲームをやる理由は、人生をより上手く生きるためだと言えるのです!

おわりに

いかがでしたか?この記事では、ゲームをやる理由を哲学的に考えてみました。

もちろん、結論として得られた「人生をよりよくするため」というのはあくまで仮説にすぎません。本当にゲームによって人生がよりよくなるかどうか、皆さんは先行研究を調査したり実際にやってみて確かめてみなくてはなりません。そこは皆さんにお任せします。

私にできるのは、この哲学的な仮説=問いを日常的な問題から引き出してくるプロセスの一例をご紹介することだけです。この記事で言えば、まずゲームとは何かを問い、ゲームの本質を捉え、それからゲームの可能性を考える。このような流れで問題を考察することで、最終的に哲学的な問いが得られていきます。

はじめはなかなか上手くいかないかもしれませんが、練習あるのみです。独創的な問いを立てて周囲を驚かせたければ、ぜひぜひチャレンジしてみてくださいね。

それでは!

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