神的な理、理的な神|『困難な自由(レヴィナス)』要旨・要約、感想とレビュー

神的な理、理的な神|『困難な自由(レヴィナス)』要旨・要約、感想とレビュー

『困難な自由』の基本情報

書籍名:Difficile Liberté
著者名:Lévinas, Emmanuel
発行: Livre de Poche
発行年:2003年

『困難な自由』のキーワード

カテゴリ:哲学、宗教哲学
キーワード:ユダヤ教聖書解釈非場所欲望

『困難な自由』のレビュー:哲学と宗教の交差点から

この記事を読んでいる人の多くは、『困難な自由』というタイトルをどこかで耳にしたことがあるだろう。

本書のタイトルを耳にしたということは、レヴィナスというフランスの思想家に関心があるか、20世紀のユダヤ教に興味があるか、といったところだろうか。

この記事を読んでいるあなたが、レヴィナス自身に関心があるにせよ、20世紀のユダヤ教に関心があるにせよ、試しに本書を読んでみるという選択は実に賢明な判断である。というのも、レヴィナスの思想はユダヤ教にかなりの程度依存しているし、20世紀のユダヤ教史を語る上でレヴィナスの思想は外せないからである。

フランス現代思想の巨匠であるレヴィナスが、ユダヤ教からどのように影響を受けたのか。そして20世紀のユダヤ教伝統は、レヴィナスの思想から何を得たのか。本書を読めば、哲学と宗教の交差点から20世紀の思想を俯瞰することができるだろう。

『困難な自由』の要旨・要約

本書は、ユダヤ教に関するレヴィナスの論文集である。本書に掲載されている論文の全てを紹介することはできないので、ここでは2本の論文を紹介するに留めておく。

「ユダヤ教」(『困難な自由』第1章第2節)の要旨・要約

ユダヤ教は、数千年来ほとんどその本質を変化させなかった。

しかし、ユダヤ教の本質というものは、そう簡単に言い表せるものではない。ユダヤ教の伝統は、聖典である旧約聖書解釈の上に成り立っており、聖書解釈はギリシア・ローマの時代から連綿と継承されている。そのため、ユダヤ教の伝統に触れようとするならば、聖書解釈学の系譜を体系化しなければならない。

聖書解釈の伝統は、理性の整備と霊性の発達という二面性を有している。それはちょうど、神を思弁的に語ろうとした結果近代科学が発達したという西洋の文化史に似ている。

「場所と非場所」(『困難な自由』第3章第1節)の要旨・要約

キリスト教とユダヤ教との対立は、決して終わりがない。キリスト教徒たちの行為が、戦後のフランスを救ったのは間違いないが、彼らは政治・社会的な次元においては疑う余地なく失敗している。

此岸(この世)の事物が重要であることを、キリスト教徒の人々は疑わない。しかし彼らは、実在の重さを過大評価すると同時に過小評価している。

この世の事物を過大評価しているのは、事物が人間的な行為に対して絶対的な抵抗を示しているからであり、逆に事物を過小評価しているのは、その事物の実在の重さが、やがて神聖な(超越的な)力によって超越されると考えられているからである。

ユダヤ教徒は、(キリスト教徒とは違って)「今、ここ」に固着するのだが、彼らは自らの根源を超越に求めるのではなく、他者への責任=倫理=場所ならざる場所(ユートピアに求める。ユダヤ教の教えは、<欲望>—決して満たされざる欲望、飢えそのものに対して飢えること—によって成立している。

『困難な自由』への感想:「非場所」(u-topie)としての「理想郷」(utopie)

第3章第1節のタイトル “le lieu et l’utopie”を、私は「場所と非場所」と訳した。

“lieu”という単語に関しては基本的に「場所」という訳しかあてられないのだが、 “utopie”という単語は「理想郷」「幻想」など複数の訳を当てることができる。

“utopie”についての数ある訳語の中で私は、「非場所」という訳語を選択した。この訳語は辞書(小学館ロベール仏和大辞典)には掲載されていないのだが、「場所」(= lieu)との対比と語源的な意味(古典ギリシア語で、oùは否定を意味し、toposは「場所」を意味する)を鑑みた結果、この「非場所」という訳語が妥当であると考えた次第である。

レヴィナスがこの “utopie”という単語を使うとき、第一に意識されているのは、モーセが十戒を受け取ったシナイの地であろう。シナイは、ユダヤの精神にとって第一の故郷であり、「今は亡き場所」(非場所=utopie)としての「理想郷」(utopie)である。

したがって、ユダヤ教徒のシナイへの思いは、決して充足されることのない<欲望>(le Désir)に他ならない。レヴィナスは、この決して満たされぬ<欲望>にこそ人間の条件があると考えていた。

自我のうちに統合されることのない<欲望>の対象としての<他者>と関係を結ぶ—そのとき人間は、その<他者>との関係をなす者として交換不可能な自己同一性を獲得し、真に「自我」となる。

このような「倫理学的存在論」は、レヴィナスの哲学書『全体性と無限』や『存在の彼方へ』にも継承されていく中心的な問題である。もし興味があれば、本書を読んだ後・読む前にこれらの哲学書に手を伸ばしてみてもいいだろう。

『困難な自由』と関連の深い書籍

レヴィナスについて知りたい人向けの書籍

  • 熊野純彦『レヴィナス入門』、筑摩書房、1999年
  • 小泉義之『レヴィナス—何のために生きるのか』、NHK出版、2003年

20世紀のユダヤ教について知りたい人向けの書籍

  • パトナム著:佐藤貴史訳『導きとしてのユダヤ哲学—ローゼンツヴァイク、ブーバー、レヴィナス、ウィトゲンシュタイン』、法政大学出版局、2013年
  • ブーバー著:植田静雄訳『我と汝・対話』、岩波書店、1979年
  • ローゼンツヴァイク著:村岡晋一他2人訳『救済の星』、みすず書房、2009年

レヴィナスの他の著作を読んでみたい人向けの書籍

  • レヴィナス著:熊野純彦訳『全体性と無限』上・下、岩波書店、2005-2006年
  • レヴィナス著:合田正人訳『存在の彼方へ』、講談社、1999年
  • レヴィナス著:西谷修訳『実存から実存者へ』、筑摩書房、2005年

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