『無機的なもののセックス・アピール』の基本情報

書籍名:無機的なもののセックス・アピール
著者名:マリオ=ペルニオーラ
翻訳者名:岡田温司・鯖江秀樹・蘆田裕史
発行:平凡社
発行年:2012年

『無機的なもののセックス・アピール』のキーワード

カテゴリ:哲学、美学
キーワード:無機物、モノ、セックス、布地

『無機的なもののセックス・アピール』のレビュー

無機物は生命を持たないが、生命であるはずの私たちは、徐々にその生命性を失いつつある。

感情を表に出すのは悪であるとされ、個は全体性の中での価値を評価される。

このような現状は一般的には個性の否定として白眼視されているが、この現状をむしろ肯定的に評価してみせたのが、マリオ=ペルニオーラ『無機的なもののセックス・アピール』である。

イタリア現代思想を代表する論者の一人であるペルニオーラは、「無機物」と「性」という、従来は対極的に捉えられてきた2つの概念を大胆にも結合し、無機物に近づいている私たちの身体に肯定的な可能性を与えている。

自我が極小化されるとき、その極小化は別の身体を産む力を生成する。性と美学と哲学が交差する地点から、大胆にセックスを批評した大作をぜひご覧あれ。

『無機的なもののセックス・アピール』の要旨・要約

人間はかつて有機的な存在として、動物<人間<神という序列の中に組み込まれていた。

しかし今や人間はその序列から疎外され、事物(モノ)たちとの関係性の総体の中へ回収されようとしている。この事態は、現代社会では「ポスト・ヒューマン」と呼ばれている。

この「ポスト・ヒューマン」という事態に肯定的な価値を見出そうとしているのが、本書の著者マリオ=ペルニオーラである。

ペルニオーラは、従来の図式とは逆に、モノ化する人間を性へと近づけて解釈しようとしているが、なぜ無機的なモノが有機的な性へと接続されうるのか

この問いに対してペルニオーラは、人間を一枚の布地に喩えて答えている。

モノとしての私たちは、一種の布地である。私たちが身体を重ねる(セックスする)とき、布地同士が重なり合い、タペストリーのように新たな生地が生成される

このとき<私>は、自らの主観を抜け出て、2つの身体が重なったところに新たに生成された身体(生地)において新たなる生を見出すことができる。

モノである私たちは、まさにモノ(布地)であることによって、自分自身の身体的な限界を乗り越えることができるのである

補足
ここで、有機的な(いわゆる、普通の)人間のセックスと、無機的なモノとしての人間とのセックスはどこが違うのか、と疑問に思った方もいるだろう。

有機的な交わりと無機的な交わりとを分ける最大のポイントは、感性の有無である。有機的な交わりには感性があるが、無機的な交わりに感性はない。

感性を持つ人間同士の交わりにおいても、「布地」同士の重なりによって新たな生地が生成されている。しかし感性が十全に働いている場合、その新たな「生地」が生命として感じられることはない__既存の感性が、新たな身体の感覚を阻害するのである。

従って、新たな「生地」(身体)を感じとるためには、既存の感性が無化されている必要がある。ここに、無機的なモノとしての人間同士のセックスの可能性がある。

『無機的なもののセックス・アピール』への感想

ペルニオーラは、人間がモノ化することによって、脱自的な(自分を超えた身体を発見しうる)運動としてのセックスが実現されると主張している。

人間の感性が縮小し、感性的な自我が極小化されることによって、逆に極大化された他者への扉が開いてくる。

このようなペルニオーラの主張は、自我の放棄による神との合一を説いたシモーヌ=ヴェイユの主張と似ているように見える(以下の記事参照)。

両者はともに、自我の固有な存在が縮小していることを他者への繋がりとして解釈していた。

しかし、ペルニオーラとヴェイユとの間には決定的な差異がある。ペルニオーラが愛を性愛として捉えているのに対して、ヴェイユはむしろ愛をプラトニックラブとして捉えている

言い換えれば、ペルニオーラは具体的な他人との具体的な愛を想定しているのに対して、ヴェイユは神との抽象的な愛を想定している。

他人との生々しい(内在的な)愛と、絶対的他者との崇高な(超越的な)愛。この両者は、どちらが良い・悪いの問題ではなく、どちらも愛の重要な側面として理解されるべきである。

愛は、具体的な身体なしにはありえないが、身体だけでもあり得ない。内在と超越の共存は、愛にとって不可欠な両義性なのである

『無機的なもののセックス・アピール』と関連の深い書籍

  • アガンベン、ジョルジョ著・岡田温司訳『裸性』平凡社、2012年。
  • 上村忠男著『現代イタリアの思想をよむ』平凡社、2009年。
  • 岡田温司著『イタリア現代思想への招待』講談社、2008年。
  • マリー、アレックス著・高桑和巳訳『ジョルジョ=アガンベン』青土社、2014年。
  • ペルニオーラ、マリオ著・岡田温司訳『エニグマ—エジプト・バロック・千年終末』あれな書房、1999年。
  • ヴァッシモ、ジャンニ著・多賀健太郎訳『透明なる社会』平凡社、2012年。

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