目次
『内的時間意識の現象学』の基本情報
書籍名:内的時間意識の現象学
著者名:エトムント=フッサール
翻訳者名:谷徹
発行:筑摩書房
発行年:2016年
『内的時間意識の現象学』のキーワード
カテゴリ:哲学、存在論
キーワード:客観的時間、純粋意識、原印象、過去把持、未来予持、現在化、準現在化
『内的時間意識の現象学』のレビュー
Googleの検索からこの記事を読んでいる方の多くは、きっと哲学にある程度馴染みのある方だろう。『内的時間意識の現象学』というフッサールの著作を知っている人は、おそらく日本の全人口の0.1%にも満たない。まだ本書を読んだことがない人も、まずは自分の哲学的な知識の豊富さに胸を張ってほしい。
したがって、この記事の読者はフッサールという哲学者についても、彼が開拓した現象学という分野についてもある程度知識があるだろうが、そんな読者諸兄におかれても、本書を読むのはかなり難しいだろう。本書は邦訳で600ページ以上ある上に、フッサールの言葉遣いは非常に堅苦しくわかりにくいからである。
そこでこの記事では、本書『内的時間意識の現象学』の内容を簡潔にまとめ、本書の内容についての論点を示す。フッサールの現象学的な考え方、現象学的な時間論について学びたい方は、ぜひ最後まで目を通してほしい。
また、稿末には参考文献も掲載してあるので、そちらも適宜参照してほしい。
『内的時間意識の現象学』の要旨・要約
純粋な時間意識は、私たちが普段自明なものとして想定している「客観的時間」「実在的時間」から区別される。時計の針はスマートフォンのアラームが示す時間は、意識に直接現れているものではなく、人工的に構築された(二次的な)時間にすぎない。時間のより根源的な性格は、私たちの意識に流れる時間の中に隠されている。
では、私たちの意識に流れる時間はいかにして生じているのか。この問題をわかりやすく解説するために、フッサールは音楽のメロディーを例として取り上げている。
私たちが音楽を聴くとき、まずは個々の音を感覚している。この感覚は、いかなる媒介項もなく、意識に直接与えられている。このような感覚を、「原印象」と呼ぶ。
しかし、私たちは音楽を単なる個々の音の集合として知覚しているわけではなく、何らかのまとまりを持った「メロディー」として知覚している。だとすれば、私たちはいかにして個々の「原印象」から体系的な「メロディー」を構築しているのか。
私たちが「原印象」を感覚するとき、実はその「原印象」は言葉通りの意味での「原印象」ではなくなっている。というのも、「『原印象』を感覚した!」と思った時点における「原印象」は、その時点から見てわずかに過去の「原印象」でなければならないからである(例えば、鏡に映った自分自身は、コンマ数秒前の自分である。それと同じ)。
したがって、「原印象」の感覚は、常に過去の「原印象」を伴っている。この現象のことを「過去把持」という。
しかし、過去の「原印象」が現在の「原印象」に結び付けられるためには、過去の「原印象」が、過去の時点においては未来である現在へ向けられている必要がある。それゆえ、「原印象」は、過去の「原印象」だけでなく未来の「原印象」も可能性として含み込んでいることになる。このような未来の「原印象」の含み込みを、「未来予持」という。
以上から、この現在における知覚には、その過去と未来の知覚がすでに含み込まれていることになる。私たちは、過去と未来を包摂しながら、現在を「現在化」しているとフッサールは指摘している。
ところで、この「現在化」の働きには、現在の知覚には直接関与しない「準現在化」の働きが間接的に関係している。「準現在化」の働きとは、例えば過去把持の運動によって、過去の出来事を「想起」したり、未来の出来事を「空想」したりする働きである。この「準現在化」の働きに影響を受けて、過去把持や未来予持が成立しているのである。
(注:非常にわかりにくい説明になったので、本書の議論をまとめたイラストを作成した。少しでも本書の理解の助けになれば幸いである。)
『内的時間意識の現象学』への感想
1年ほど前、私は大学の実用英語の講義の中で、現象学的な時間意識について英語でプレゼンした。そのプレゼンの質疑応答の中で最も多かった質問が、「客観的な時間が二次的(副次的)な存在に過ぎないとはどういうことか」という質問だった。
おそらく読者の皆さんの中にも、本書の冒頭で当たり前のように語られている「客観的時間の遮断」(序論第1節のタイトル)に違和感を感じる方が少なからずいるだろう。そこで、この「感想」では、客観的時間を遮断し、純粋意識の中の時間の流れに目を向けるということの意味について、具体的に考えてみることにしよう。
デカルトは、「我思う、ゆえに我あり」と言った(実際には少し違う表現を使っていたらしいが、ここでは不問にする)。このデカルトの宣言は、「あらゆる存在を疑っていったとしても、疑っている自分自身の精神の存在は疑えない」ということを含意している。
フッサールの「客観的時間の遮断」という発想も、基本的にはこのデカルトの考え方に基づいている。自分の意識以外の全ては疑う余地があるが、自分の根源的な意識だけは存在しなければならない。というわけで、「自分の意識から離れた『客観』である時間の存在は、一旦否定しておこう」という発想が成り立つ。
さて、自己意識以外の全ての存在を一旦否定すれば、残るのは自己意識の存在だけである。では、この「純粋意識」はどのようにして存在しているのか。
あるものが存在するとき、私たちはその存在する時間を問うことができる。「私は今日の午後1時にいました」というように。純粋意識の「場所と時間」は、「今」と表現される。フッサールにとって純粋意識は最も基本的な存在なのだから、その存在の時間も、最も基本的なものになるというわけである。
ところが、純粋意識が存在する「今」は、「午後1時」のような静的・固定的な時刻とは違っているのだとフッサールは主張する。
意識は常に「何かに対する意識」である。例えば私たちが音楽を聴くとき、私たちの意識は音楽に対する意識になっている。
音楽に対する意識は、個々の音に対する意識とは異なっている。私たちは音の一つ一つを分解して意識しているのではなく、音楽が構築する「メロディー」という体系を意識している。
ということは、私たちが「今」音楽を聴くとき、その意識は「今」だけでなく過去と未来にも向けられている。「今」感じ取った音が、数秒前の音とどのようにつながり、数秒後の音にどのように繋げられていくかが把握されていなければ、「メロディー」を意識することはできないからである。
したがって、純粋意識が存在する「今」は、それ自体が時間の流れ(過去・現在・未来)を有しているのである。この時間構造を基点として、客観的時間が生起しているとフッサールは考えている。
やや長い説明になったが、言いたいことは以下の2点である。
- 客観的な時間は、存在が確証されている自己意識から離れているので、一旦その存在を否定しなければならない。
- 純粋意識の「今」は、それ自体の中に「過去・現在・未来」という時間構造を持っている。
この2点を踏まえれば、フッサールの時間論が少しはわかりやすくなると思うので、この「感想」を読んだ上で改めて本書を読み直してほしい。
『内的時間意識の現象学』と関連の深い書籍
「現象学って何?」という方向けの書籍
- 田口茂著『現象学という思考—<自明なもの>の知へ』、筑摩書房、2014年
- 谷徹著『これが現象学だ』、講談社、2002年
「フッサールって誰?」という方向けの書籍
- 斎藤慶典著『フッサール—起源への哲学』、講談社、2002年
- 竹田青嗣著『超解読!はじめてのフッサール「現象学の理念」』、講談社、2012年
フッサールの他の作品を読んでみたい方向けの書籍
初心者向け
- フッサール著:長谷川宏訳『現象学の理念』、作品社、1997年
- フッサール著:浜渦辰二訳『デカルト的省察』、岩波書店、2001年
中級者向け
- フッサール著:浜渦辰二・山口一郎訳『間主観性の現象学—その方法』Ⅰ〜Ⅲ、筑摩書房、2012-2015年
上級者向け
- フッサール著:立松弘孝訳『論理学研究』Ⅰ〜Ⅲ、みすず書房、2015年
- フッサール著:渡辺二郎訳『イデーン—純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想』Ⅰ〜Ⅲ、みすず書房、1979-2001年
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大変興味深く拝読いたしました。フッサールさん的な時間論での、自己の精神が、ちょっと前と今、そしてちょっと後を知覚する能力があって、それが時間覚を生み出すタネになっているという理解(であってますでしょうか)に感銘を受けました。
ただ、鶏と卵じゃないですが、純粋意識のこの性質が時間覚を作るのであれば、ちょっと前、ちょっと後、今という時間覚はどうやって生まれたのか、という疑問が浮かびました。言うなれば、自己言及型の定義をしているなと思えてしまったのですが、この点に関しての参考になる議論などあったりするのですか?
コメントありがとうございます!
実はおっしゃる通りで、本書の解説(pp.654-655)によると、フッサールは弟子のインガルデンに対して「そうなんだよ、ばかげた話だ。そこには悪魔的な循環がある——根源的な時間構成的諸体験そのものがこれまた時間の中にあるんだ」と嘆いたと言われています。
この問題は「直観主義」と言われるフッサールの立場の大きな問題の一つで、後にデリダの『声と現象』によって批判されることになります。本サイトには『声と現象』を紹介した記事もありますので、よければそちらもご参照ください。
この度は、私たちの作成した記事をご精読いただきありがとうございました。この記事・このコメントが、テトラヒメナ様の学習の一助になれば幸いです。