目次
はじめに:プラトンの『国家』についてわかりやすく解説!
プラトンと言えば、哲学に少しでも触れた経験のある人なら誰もが知っている古代ギリシアの哲学者ですよね。
でも、「プラトンの思想ってどんなものなんですか?」と聞かれて即答できる人は少ないでしょう。
まして、「プラトンの著作として有名な『国家』における中心的な問題はなんですか?」と聞かれたら、多くの人は答えに窮してしまうのではないでしょうか。
そんなとき、「ああ、プラトンの思想ってのは〇〇で、『国家』の内容はだいたいこんな感じなんだよ」ってサラッと言えたらかっこいいですよね。
そこでこの記事では、プラトンの思想の概略を簡単に説明した後、彼の有名な著作の一つである『国家』の内容についてわかりやすく解説します!
哲学を学んだことがない人でもわかるように、可能な限り丁寧に説明しますので、ぜひ最後まで読んでみてくださいね。
プラトンとは?その生涯と思想内容・有名な著作について
プラトンの生涯
生誕
プラトン(紀元前427年〜紀元前347年)は、ペロポネソス戦争の渦中のアテネで生まれました。
政治家の家系の末裔として育てられたプラトンは、自らもまた政治家になろうと日夜心身の鍛錬に励んでいました。
しかしそんな前途有望な青年の前に、「正しい政治とは何か」という問題を問い直させる衝撃的な出来事が訪れます。プラトンの思想上の師匠にあたるソクラテスが、不条理な理由で処刑されてしまったのです。
対話篇と政治への決意
誰よりも政治の本質を理解し、誰よりも民衆のことを慮っていたソクラテスが、「民衆を悪事へ煽動した」という罪で殺される。
この悲劇的経験から、プラトンは「対話篇」という著作の執筆に取り掛かり、亡きソクラテスが哲学の手法として取り入れていた対話的思索の中であるべき政治の姿を追求するようになりました。
そうして執筆されていった一連の「対話篇」の到達点が『ゴルギアス』になります。
プラトンは、『ゴルギアス』における「徳」の女神と「悪徳」の女神との対話の中で、ソクラテスが敬遠した現実政治を真正面から捉えつつ、ソクラテスの教えにしたがって「徳」と「知」の探究を最優先にすると決意しました。
この決意を胸に、各地の政治体制を見て回ったソクラテスは、今の政治は腐敗しきっていることを実感し、現在の圧政を打破するためには哲学と政治を一体化させる他ないとする「哲人政治」(『国家』の中心的な思想)の発想に到達しました。
アカデメイア 開校
そこでプラトンは、将来の「哲人」を養成して理想の国家を作るべく、哲学を中心とした高等教育・研究機関「アカデメイア」を開学させます。
「アカデメイア」の中でプラトンは、当時まだ一般には認知されていなかった「哲学」を、一つの体系的な学問として整備しました。
一切の書物を残さず「対話」に一生をかけたソクラテスとは違い、プラトンは講義形式で哲学を教授し、書物を残してその講義内容を後世に伝えたのです。
こうしてアカデメイアは哲学の一大研究拠点となり、初代学長となったプラトンは哲学の実質的な創始者として、2000年後も語り継がれる知の巨人となりました。今私たちが哲学を研究できるのも、ひとえにプラトンのおかげと言っていいでしょう。
プラトンの思想
プラトンの思想を特徴づける概念は多数あるのですが、ここでは最も重要な概念として「イデア」を取り上げておきましょう。
プラトンのイデアについては、アリストテレスの思想について紹介したこちらの記事でも扱っているので、併せてご覧ください。
プラトンは、この世の事物は全て天上界にある「イデア」の似姿であると考えていました。
今、手元に三角形の定規があるとしましょう。私たちはこの定規を見て「三角形だ」ということを直観できますが、厳密に言えばこの定規は「三角形」ではありません。数学的に厳密な意味での「三角形」は、辺に幅を持たないからです。
目の前にある三角形の定規は、厳密には三角形ではないのに、なぜか私たちはその定規が「三角形である」と考えている。
この認識が成立するのは、私たちの精神の核をなす「魂」(プシュケー)が「厳密な意味での三角形(現実には存在できない理想上の三角形=三角形のイデア)」を予め知っていて、三角形の定規を見ることでそのイデアを想起するからだとプラトンは説明しました。
三角形に限らず、私たちの概念的な認識は、全て天上界に対応する「イデア」を持っており、しかも私たちの精神は魂を通じてイデアをすでに知っているのだ、というわけです。
流石に口で説明するだけでは「ほんまかいな」ってなると思うので、疑問に思った方はぜひこの記事の最後に掲載している参考文献を読んでみてくださいね。
プラトンの有名な著作
プラトンの著作は、成立時期ごとに前期・中期・後期に分類されています。
現存する代表的な著作を列挙すると、以下のようになります。
前期
- エウテュプロン
- ゴルギアス
- ソクラテスの弁明
- クリトン
- リュシス
- カルミデス
- ラケス
- エウテュデモス
- プロタゴラス
- メノン
中期
- 饗宴
- パイドン
- 国家
- パイドロス
- クラテュロス
後期
- パルメニデス
- テアイテトス
- ソピステス
- ポリティコス
- ティマイオス
- クリティアス
- ピレポス
- 法律
- エピノミス
いや、
「多すぎやろぉ!!」って感じですね。まあ全部を知っておく必要はありません。
『ソクラテスの弁明』・『クリトン』・『ゴルギアス』・『メノン』・『饗宴』・『パイドン』・『国家』・『パイドロス』・『パルメニデス』・『テアイテトス』
くらい知っておけば十分です。これでも多いって?それは頑張りましょう^^
プラトンの『国家』について
『国家』の構成
プラトンの『国家』は全10巻からなる大作です。巻ごとに概ねテーマが決まっていますので、一度整理しておきましょう。
- 第1巻〜第2巻:導入
- 第2巻〜第4巻:国家について
- 第5巻〜第7巻:哲人政治への道
- 第8巻〜第9巻:既存国家への批判
- 第10巻:詩論・正義論
基本的に、プラトンの思想的な師匠であるソクラテスが周囲の人間と対話しながら「理想の国家とは何か?」という問題を深めていく、というストーリーになっています。
プラトンが「国家」の理想について述べるのは第7巻までなので、この記事では第1巻から第7巻までの内容をテーマごとに見ていきたいと思います。
なお、この記事の内容は『プラトン「国家」—逆説のユートピア』(内山勝利、岩波書店、2013年)を参考にしているので、興味がある方はこちらの本もご参照ください。
『国家』の内容の要旨・要約
『国家』の内容の要旨・要約①:第1巻〜第2巻(正義とは?)
物語は、ソクラテスが故郷であるアテナイから離れて、とある港町での祝祭に参加する場面から始まります。
街を巡っていたソクラテスは、そこに住むケパロスという中高年の男性に誘われ、彼の家で多くの人と歓談することになりました。
ケパロスは、ソクラテスに対して自らの老いを語るとともに、自分の過去を踏まえて人生談議を始めます。
ケパロスの人生論を聞いていたソクラテスは、ケパロスに「正しく生きるとはどういうことか—正義とは何か?」という問いを投げかけました。
この問いに対しては、祭事の準備へと急いで行ったケパロスの代わりに、ケパロスの息子であるポレマルコスが「それぞれの人に借りたもの(お金や恩)を返すことが正義である」と応答しました。この考え方は伝統的な応報論に基づくものだったのですが、まあ納得できる言い分でしょう。
ところが、この応答に異議を唱える者が突如として出現しました。当地の知識人として鳴らしていた、トラシュマコスという男性です。
トラシュマコスは、ソクラテスたちの悠長な対話を笑い飛ばして、次のように言いました。
「では聞くが良い。私は主張する。<正しいこと>(=正義)とは、強い者の利益にほかならない」
このトラシュマコスの意見に対して、ソクラテスは内心ほくそ笑んでいたことでしょう。激しい意見の対立は、問題を深く考察する上で不可欠だからです。
いつものように、ソクラテスはトラシュマコスの意見を一蹴することなく、トラシュマコスの意見の詳細をトラシュマコス自身の口で語らせていきます。
その中で彼は、自分の主張を「正義とは『自分より強い者への利益』であり、不正は『自分自身への利益であり、正義とは一種の暴力であって不正は自由を形成する」という形に言いなおします。つまり、正義よりも不正の方が良いということです。
勘の良い方はお気づきかもしれませんが、既にトラシュマコスの意見は内部崩壊しています。「正しさ」という言葉の意味において「正義>不正」は自明に成立しなければならないのに、トラシュマコスの主張は「正義<不正」という逆理を認めてしまっているからです。
この場合、「正しさ」という言葉が正当な意味を持たなくなるので、トラシュマコスはこれ以上正しさを語ることができません。よって、彼の主張は退けられることになるわけです。
トラシュマコスの説が正しくないのだとすれば、正義は一体どのようにして規定されるのか。いよいよここから、本格的に議論が始まっていきます。
『国家』の内容の要旨・要約②:第2巻〜第4巻(国家について)
一個人としての正義論が行き詰まってしまったので、ソクラテスは敢えて国家レベルでの正義について論じてみることを提案します。
国家形成の核をなすのは正義=正しさなのだから、理想の国家のあり方を考えていけば理想の正義に近づけるだろうというわけです。
さて、ソクラテスが掲げる理想の国家像は、「人は一人では生きていけないのだから、相互扶助のために一つの土地に集まって生きる必要がある。その土地こそ<国家>である」という、極めてシンプルな発想に基づいています。
国家という共同体の第一の使命は住民の衣食住を満たすことであり、それを効率よく達成するためには「分業」(一人が一つだけの仕事をすること)が求められるとソクラテスは説きます。人間は一人ひとり違っていて、最も得意な仕事も一人ひとり違っているからです。
しかし、一人ひとりが自分の仕事に集中しようとすると、際限なく住民が増えてしまいます。例えばある人が大工の仕事に集中しようとするならば、大工の道具を作る職人が必要になりますよね。同様に、大工道具の職人が自分の仕事に集中しようとすると、木こりを専門とする人が必要になります……。
人々が多くのものを求めれば求めるほどに、国家の住人は多く必要になり、国家の規模は際限なく膨張し続けます。そして、国民の増加と贅沢を賄うにはより広大な国土が必要になり、近隣諸国との間で軋轢が生じて、最後に生じるのは戦争です。
ここで、国家を守る戦士たち(守護者)が必要になるのですが、守護者には本来相異なる2つの特性が同時に求められます。守護者は敵に対しては勇猛でなければならないが、味方に対しては温和でなければならないのです。
このような相異なる性質を同時に併せ持ち、しかも場面に応じて主体的に性質を変化させるのは容易ではありません。したがって守護者を養成するには、厳しい訓練と教育が必要になるのです。
正義から国家へと進んできた議論は、ここから一転して教育論へと進んでいきます。ソクラテスが教育の必要性を訴えるのは主として守護者を育成するためですが、誰が守護者としてふさわしいか見極めるのは難しいため、国民全員を国家によって教育し、守護者になり得る者を選抜する必要があったのです。
守護者たる者を育成する教育を行うにあたって、ソクラテスは体育と文芸・音楽を教科として選定しました。体育は身体を鍛えるため、文芸と音楽は魂を鍛えるための教科です。
一般にソクラテスは文化人として知られていますが、彼は三度の戦争を生き抜いた精鋭軍人でもありました。身体と精神の両面を鍛えることが軍人(守護者)にとって重要であることを、彼はよく理解していたわけですね。
『国家』の内容の要旨・要約③:第5巻〜第7巻(哲人政治への道)
さて、理想国家建設のための設計図が素描されたところで、議論はいよいよ政治へと進展していきます。
ソクラテスが掲げた理想の政治のあり方は、一般に「哲人政治」と言われています。名前の通り、哲学者たちが国王となって政治を営むべきであるという考え方です。
この「哲人政治」の考え方には、多くの聴衆から批判の声が寄せられました。現代と変わらず、当時の人々も「哲学とは空論をこねくり回す学問である」と考えていたのです。
しかしソクラテスが考えていた「哲学者」は、机上の空論を振りかざすような役ただずとは明確に違っていました。
ソクラテス曰く、哲学者とは現実の存在を最も正確に見つめ、変化するものと変化しないものとを精密に見分けられる力を持った者のことです。
政治家であるためには普遍的な正しさが何なのか理解できていないといけないので、哲学者としての素質が求められます。したがって、政治家は哲学者とならなければならないのです。
真実を探求するための哲学的対話を進めていく中で哲学的素養を培い、「正しさ」とは何かを十分に吟味し尽くした人が「哲人王」となる。この「哲人王」を育成することが、ソクラテスの国家論の最終目的地点(『国家』第7巻の結論)になります。
『国家』への感想:善のイデア(太陽・線分・洞窟の比喩)
以上駆け足で『国家』について説明してきました。ここで、『国家』における哲人政治に対する私なりの見解を述べておきたいと思います。
端的に言って、哲人政治は達成不可能です。なぜならソクラテス(プラトン)において、善とは無限の彼方にあるイデアであり、善自体を知ることはできないからです。
ソクラテスは、善というイデアについて説明する際に「太陽・線分・洞窟」という3つの比喩を用いました。
太陽の比喩と線分の比喩は、洞窟の比喩の議論の中で具体的に説明されるので、ここでは洞窟の比喩だけ説明します。
私たちは、イデアそのものを知ることはできません。イデアは天上界の存在で、地上にはイデアの影しか映らないからです。私たち人間は洞窟の中に住う生き物で、太陽のような存在であるイデアの影しか見ることができません。
しかし一方で、「イデアの影とイデア自体との関係は、現実世界の事物の影と事物そのものとの関係に等しい」とソクラテスは指摘しました。
例えば、日の当たる地面に棒を立てて影ができたら、その影から棒の長さを測定できますよね。それと同じように、この世にイデアの影が写っているのなら、比例の関係によってイデアそのもののあり方を推論することができるとソクラテスは考えていたのです。
したがって、善のイデアを目指す政治家は、イデアの影を詳細に分析することによって、善のイデア自体を志向するべきである__これが、「洞窟の比喩」の内容になります。
なるほど確かに、「太陽と影」の関係を使えば、善のイデア自体を推論できます。しかしそれはあくまで推論なので、「善のイデア自体を知る」ことは永遠にできません。
それに、「太陽と影」によって推論が可能だということは、影の測り方に応じて「善のイデア」の姿について可能な解釈が複数個存在する可能性があるということでもあります。
善のイデアは唯一にして無二の超越的な存在であるはずなのに、その姿が複数個考えられるというのは不合理な話です。
ですから、「太陽と影」の推論から善のイデアを正しく読み取ることは非現実的だと言えます。「哲人」が善を正しく知り、その善によって国を統治することはそもそも不可能なのです。
とは言え、ソクラテスの国家論は、私たちの進むべき方角をある程度明確に示してくれています。実際、『国家』での議論を踏まえて、後のアリストテレスやカント、ロック、ルソー、スミスなどが独自の国家論を展開していくことになります。
ソクラテスの理想をなるべく失わない形で国家を形成するにはどうすればいいのか__ソクラテスの夢は、今の私たちの社会にも脈々と引き継がれているのです。
プラトン『国家』のまとめ
- 国家とは、衣食住を満たすための相互扶助組織である。
- 国家の構成員は分業する必要があるが、分業を細分化していくと国家の規模が際限なく大きくなる。
- 国家の肥大化はやがて戦争を招くので、国家の守護者を養成する必要が生まれる。
- 守護者を養成するためには、体育と文芸・音楽を教育するのが良い。
- 政治は、哲学者が行うのが良い。
プラトン『国家』に関連する哲学書
この記事の執筆にあたって参照した文献
- 内山勝利著『プラトン「国家」—逆説のユートピア』、岩波書店、2013年。
- プラトン著・久保勉訳『ソクラテスの弁明・クリトン』、岩波書店、1927年。
- プラトン著・藤沢令夫訳『国家 上・下』、岩波書店、1979年。
- プラトン著・藤沢令夫訳『パイドロス』、岩波書店、1967年。
『国家』の原典と翻訳
実際に『国家』を読んでみたい人向けに原典と翻訳をいくつか提示しておきます。
原典
- Slings, S.R., Platonis rempublicam, Oxford, 2003.
英語翻訳
- Cooper, J.M. and D.S. Hutchinson(eds.), Plato Complete Works, Indianapolis, 1997.
日本語訳
- 田中美知太郎・藤沢令夫編『プラトン全集 全15巻・別巻』、岩波書店、1974-1978年。
- 藤沢令夫訳『国家 上・下』、岩波書店、1979年。
『国家』に関連するプラトン思想の入門書
- 内山勝利著『対話という思想—プラトンの方法序説』、岩波書店、2004年。
- 田中美知太郎著『プラトン 全4巻』、岩波書店、1979−1984年。
- 納富信留著『プラトン—哲学者とは何か』、NHK出版、2002年。
- 廣川洋一著『プラトンの学園アカデメイア』、講談社、1999年。
- 藤沢令夫著『プラトンの哲学』、岩波書店、1998年。
ピンバック: ソクラテスについてわかりやすく!〜思想・歴史的意義・おすすめ本〜 | オンライン図書館(哲学・文学・文化人類学)
ピンバック: 美学について〜美学の概要・歴史・学ぶ方法をわかりやすく〜 | オンライン図書館(哲学・文学・文化人類学)