【詩=ダンス+音楽⁉︎】『芸術論20講(アラン)』要旨・要約、感想とレビュー

【詩=ダンス+音楽⁉︎】『芸術論20講(アラン)』要旨・要約、感想とレビュー

『芸術論20講』の基本情報

書籍名:芸術論20講
著者名:アラン(本名:エミール=オーギュスト・シャルティエ)
翻訳者名:長谷川宏
発行:光文社
発行年:2015年

『芸術論20講』のキーワード

カテゴリ:哲学
キーワード:西洋思想、美学

『芸術論20講』のレビュー

「芸術論」と聞くと、何やら小難しいそうな議論が展開されるんだろうな、と感じる人も多いだろう。芸術論は、難解な芸術を理解するための難解な思想の解説なのだと、ほとんどの人は納得している。

しかし本書『芸術論20講』を著したアランは、芸術は抽象的な観念や思想から生まれているわけではないと指摘している。では、芸術とは何なのかー?

本書は、長年フランスで中学・高校の教員として働いていたアランが、子供たちにもわかる平明な口調で語る芸術についての20の講義録である。芸術に興味があるが、自分にはまだ早いと思っている人はぜひ手にとってみてほしい。きっと、それまでの芸術観がひっくり返るはずである。

20の講義で合わせて322ページある本書の内容は、講義としては連続しているが、どの講義から読んでも理解できるようになっている。夜寝る前に好きな講義を一つずつ読んでみてもいいかもしれない。

『芸術論20講』の要旨・要約

音楽や演劇、詩、建築、彫刻、それに絵画。これらの芸術作品は、何らかの想像力や観念から生じているものだと多くの人々は考えている。

ところが想像力や抽象的な観念そのものに作品を生み出す力は無い。どれだけ想像力が逞しくとも、目の前の猫は猫以外には見えない。

芸術を生み出しているのは、自らの想像を現実にしようとする力なのである。言い換えれば、目の前の素材と対峙し、格闘し、その素材を扱う技術を身につけ、作品を生み出す行為こそが芸術を形成しているのである。

煎じ詰めれば、全ての芸術は自然との身体的な関わりなのである。その関わり方の違いによって、ダンスや音楽、彫刻、絵画などそれぞれの分野の差異が生じてくる。

『芸術論20講』への感想

アランは、芸術の本質を自分と自然との関わりに見ていたのだが、ここでいう「自然」とは、緑豊かな森とか広大な大海原とかいう自然だけを指しているのではない。あえて言い換えるなら、「身体」が適当だろう。

例えばアランは、芸術としての詩はダンスと音楽の集約であると指摘している(本書p101)。詩として歌われる言葉は、必ず何らかの身振りを伴って朗唱される。そして詩は、韻を踏むことによって音楽と同質のリズムを言葉の中に刻み込む。

詩がダンスであり音楽であることによって、詩の言葉は言葉として備わった意味を超え、一つの身体として解放される。つまり、詩を構成する個々の言葉の意味作用から抜け出して、詩全体が一つの身体として固有の意味を持つようになるのである。

Googleには翻訳できない詩としての(身体としての)言葉は、現代においてはTwitterで広く見られるようになっている。そこでは「つぶやき」という枠の中で、文字が持っているポテンシャルが常に発見され直されている。「芸術」というと難しいようだが、何のことはない。私たちはみな既に芸術家として日々を過ごしているのである。

『芸術論20講』と関連の深い書籍

『芸術論20講』と関連の深い「西洋思想」の書籍

  • アラン著・神谷幹夫訳『アラン 幸福論』、岩波書店、1998年
  • レヴィナス著・西谷修訳『実存から実存者へ』、筑摩書房、2005年

『芸術論20講』と関連の深い「美学」の書籍

  • アラン著・長谷川宏訳『芸術の体系』、光文社、2008年
  • アリストテレス著・三浦洋訳『詩学』、光文社、2019年
  • カント著・篠田英雄訳『判断力批判 上・下』、岩波書店、1964年
  • ハイデガー著・関口浩訳『芸術作品の根源』、平凡社、2008年
  • プラトン著・中澤務訳『饗宴』、光文社、2013年
  • ヘーゲル著・寄川条路他3人訳『美学講義』、法政大学出版局、2017年
  • 和辻哲郎著『古寺巡礼』、岩波書店、1979年

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