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はじめに:なぜ私たちはコロナを恐れているのか
こんにちは、ライターのらりるれろです。今回は、今世界中を震撼させている新型コロナウイルスから哲学的な問いを導出したいと思います。
新型コロナウイルスのヒトーヒト感染が公式に認められてから早くも3ヶ月が経過し、今この瞬間も新型肺炎で人が亡くなり続けています。その状況は私たちにとって恐怖そのものですが、私たちは一体新型コロナウイルスの何を恐れているのでしょうか。自分たちはそのウイルスについてほとんど何も知らないのに、どこからこの恐怖は湧いてくるのでしょうか。
では早速、そんな疑問から哲学を始めることにしましょう!
コロナから始める哲学①:私たちにとってのコロナとは
まずは、私たちが恐怖の対象としているコロナとは何かという問題を確認しましょう。
私たちは医学的な意味での「ウイルス」としてコロナを恐れているわけではありません。ウイルスとしてのコロナについてはいまだ未解明な部分が多く、一般市民のほとんどがウイルスとしてのコロナの危険についてはよくわかっていないはずだからです。
では私たちにとってのコロナとは何かというと、端的に言えば無視できないレベルの致死性のある見えない敵といったところでしょうか。「詳しいことはわからないが、外にはコロナと呼ばれる敵が隠れていて危険だ」という認識を私たちは共有しています。小池都知事も「見えない敵」という表現を使っていましたよね。あの表現は、「私たちにとってのコロナ」を表す的確な表現だと思います。
コロナから始める哲学②:私たちがコロナに関する恐怖とは
さて、このコロナという見えない敵に対して、私たちはどのように恐怖を感じているのでしょうか。
例えば皆さん、この状況下で混雑した繁華街の中に放り込まれたらどう思いますか?なんとかして早く離れようとしますよね。これはなぜでしょうか。おそらく、皆さんの目には、周囲の人間の全てが新型コロナウイルスを持っているかのように見えている(誰から感染するかわからない)からです。いつどこで、誰から感染するかわからない。だから私たちは逃げるのです。
以上から、私たちは、周囲の人々が自分に新型コロナウイルス感染という危害を加えてくることを恐れて、外出を自粛したり、自粛に従わない人をこれでもかと非難していると考えられます。
コロナから始める哲学③:コロナの恐怖の本質とは
私たちは今、繁華街で歩いている他人が自分に危害を及ぼしてくることを恐れているわけですが、この他人に対する恐怖は幽霊に対する恐怖に似ています。
幽霊は、人間に意識されることによって人間につきまとってきます。「幽霊がいるかもしれない」と思うから、そこに幽霊を見てしまうというわけですね。
同じことがコロナに関する他人への恐怖についても言えます。「周囲の他人はコロナを保有しているかもしれない」と感じることによって、(実際にその他人が感染しているか否かにかかわらず)私たちは他人の中にコロナの幽霊を見てしまうのです。
となると、私たちのコロナに関する恐怖の本質は、私たちの想像・妄想・思い込みを起源としているのではないかと考えることができます。私たちが新型コロナウイルスをニュースなどで強く意識し、コロナに関する想像を膨らませることによって、他人に対する恐怖が生まれている……だとすれば結局、私たちの恐怖を作り出しているのは私たち自身の想像なのではないでしょうか?恐怖とはつまり、恐怖する相手からではなく恐怖している自分自身から生じるものなのではないでしょうか?
おわりに: “stay home.”ただそれだけが確か
いかがでしたか?
今回の議論は、
- 私たちが感じているコロナとは何かを分析し、
- コロナに関する恐怖の源泉を探る
という流れで進めてきました。やや難しいのは幽霊のくだりかもしれませんが、「いつどこで襲われるかわからない」という恐怖は幽霊に対する恐怖に似ていますよね……
幽霊にせよ未知のウイルスにせよ、よくわからない・知らないものに対して、私たちは無駄に想像力を膨らませてしまう傾向にあります。危機意識を高めるために想像力は欠かせないのですが、あまりにも想像を働かせすぎると精神的に疲弊してしまいます。
今確かなことは “stay home.” これだけです。これだけを意識して、自分にできることを今後も粛々とやっていきましょう。
それでは!
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