『この人を見よ(ニーチェ)』の要旨・要約、感想とレビュー

『この人を見よ(ニーチェ)』の要旨・要約、感想とレビュー

『この人を見よ』の基本情報

書籍名:この人を見よ
原題:Ecce homo
著者名:フリードリヒ=ニーチェ
翻訳者名:手塚富雄
発行:岩波書店
発行年:1969年初版発行

*リンクは岩波書店のものではありません。ご了承ください。

『この人を見よ』のキーワード

カテゴリ:哲学
キーワード:西洋思想、形而上学

『この人を見よ』のレビュー

哲学に馴染みがない人でも「ニーチェ」という名前はどこかで聞いたことがあるだろう。

しかし、ニーチェという名前を聞いて具体的なイメージを思い浮かべられる人は多くない。確かに、ニーチェの著作(『悲劇の誕生』、『善悪の彼岸』、『ツァラトゥストラ』など)を初めて目にする人は、その難解さに頭を抱えてしまうものである。私もそうだった。

本書『この人を見よ』は、そんなニーチェ入門者にこそ読んでほしい書籍である。本書ではニーチェ自身が、自身の書籍が書かれた理由を紹介している。ニーチェはなぜ、「キリスト教の伝統的な価値観の転換」という挑戦的な振る舞いをとらなければならなかったのか。本書を読めば、うっすらとその答えが見えてくるだろう。

『この人を見よ』の要旨・要約

善と悪の創造主となる「超人」―ニーチェが言う所のツァラトゥストラ(ゾロアスター)―は、まず既存の価値観を破壊しなければならない。真の創造はゼロから始まるものなのだから。

ところが、キリスト教道徳における善人は破壊を嫌う。破壊を嫌うキリスト教の文明は創造を行えない。したがってそれは終末へ向かうのみである。キリスト教の文明圏に属する人々は自らの未来を犠牲にしている。今こそ、彼らの伝統的な価値観の転換が行われなければならない。

『この人を見よ』への感想

「わたしの言うことがおわかりだったろうか−十字架にかけられた者 対 ディオニュソス……」(本書p194)という言葉で本書は閉じられるのだが、この部分の解釈は難解である。

私の解釈では、この「十字架にかけられた者」はキリスト教の道徳に与する人々を指し、ディオニュソスはニーチェを指していると考えられる。破壊を悪とするキリスト教の「善人」は、自らの将来を犠牲にしている。それはつまり、自らを、自らの運命を十字架にかけていると言えよう。また、ギリシア神話における神ディオニュソスは、激情や陶酔といった激情的な反理性の象徴とされていることを踏まえれば、ここではキリスト教の道徳に反目しようとするニーチェに擬えられていると考えられよう。

19世紀末、キリスト教の伝統的価値観に孤独に抵抗し続けたニーチェは本書執筆後に発狂してしまうのだが、それも無理のない話だったのかもしれない。当時、世界は確実に「終末」へとひた走り続けていたのだから……。

『この人を見よ』と関連の深い書籍

『この人を見よ』と関連の深い「西洋思想」の書籍

  • ショーペンハウアー著・金森 誠也訳『存在と苦悩』、白水社、1995年
  • ジル=ドュルーズ著・湯浅博雄訳『ニーチェ』、筑摩書房、1998年
  • スピノザ 著 ・畠中尚志訳『エチカ:倫理学 上・下』、岩波書店、2011年
  • パスカル著・塩川徹也訳『パンセ 上・下』、岩波書店、2015年
  • ベルクソン著・中村文郎訳『物質と記憶』、岩波書店、2001年
  • ベルクソン著・合田正人訳『創造的進化』、筑摩書房、2010年
  • マルティン=ハイデガー著・細谷 貞雄, 輪田 稔, 杉田 泰一訳『ニーチェ1・2』、平凡社、1997年

『この人を見よ』と関連の深い「形而上学」の書籍

  • ショーペンハウアー著・西尾幹二訳『意志と表象としての世界 1〜3』、中央公論新社、2004年
  • ドュンス=スコトゥス著・八木雄二訳『存在の一義性 ヨーロッパ中世の形而上学』、知泉書館、2019年
  • マルティン=ハイデガー著・川原 栄峰訳『形而上学入門』、平凡社、1994年

3件のコメント

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