目次
『時間と自由』の基本情報
書籍名:時間と自由
原題:Essai sur les données immédiates de la conscience
著者名:アンリ・ベルクソン
翻訳者名:中村文郎
発行:岩波書店
発行年:2001年初版発行
『時間と自由』のキーワード
カテゴリ:哲学
キーワード:西洋思想、形而上学、認識論、言語哲学
『時間と自由』のレビュー
私たちは時間に囲まれている。スマホを開けばまず現在時刻が出てくるし、時計は至る所にある。電車の少しの遅延に苛立ってしまう人は少なくない。私たちにとって、時間はごくごく当たり前に存在している。
しかし、時間は単なる実在ではない。それはあまりにも抽象的すぎるからである。少なくとも具体的な事物の実在と同じようには語れない代物である。
では、本来時間とは何であったか?この問題と自我の内面の自由との密接な関係について論じたのが本書『時間と自由』である。もしあなたが、普段時間を意識して行動することが多いなら、本書をぜひ読んでみてほしい。何気なく意識している時間が、実は自我の自由に関わる重要な問題とつながっていることが感じられるだろう。
『時間と自由』の要旨・要約
『時間と自由』の要旨・要約①:質的多様性と量的多様性
意識に対して現れる純粋な質(=<純粋持続>)と、必然的に空間とならざるを得ない純粋な量との間には明確な差異がある。
意識のうちに見出されるのは、互いに区別されることなく継起する諸状態である。意識の外に見出されるのは、互いに区別される諸同時性(後のものが現れるとき、前のものは存在できない)である。
互いに区別されない連続的継起のことを「質的多様性」といい、互いに区別される断続的同時性のことを「数的多様性」という。
意識の外部にあるのは数的多様性だけであり、意識の内部にあるのは質的多様性だけである。
意識に直接現象してくる時間感覚は、断続的ではなく連続的な継起であるので、質的多様性=<純粋持続>の現象である。
『時間と自由』の要旨・要約②:<純粋持続>における自由
いわゆる決定論者(自由を否定する論者)は、意識における<純粋持続>の質的多様性を、空間的な数的多様性と混同している。
決定論者は、この世の事物は全て何らかの手段で分析可能であると考えている(事物は自然に存在する事物だからだ)が、<純粋持続>は本質的に分析不可能である。<純粋持続>とは連続的な継起であり、互いに分割できない性質だからである。
したがってこの世には、外的に決定不可能な要素=厳密な意味での自由が存在し、その要素こそ<純粋持続>に他ならない。
分析的な思考に慣れ親しんだ私たちにとって、分析不可能な<純粋持続>の経験を発見するのは難しい。自らの意識への深い「直観」を通して初めて、<純粋持続>という真の自由を発見することができるだろう。
(注釈1:決定論者は、「この世の事物は全て分析可能であるがゆえに、事物間の因果関係も全て分析可能である。ゆえに、過去・現在・未来における事物間の繋がりは(科学的分析によれば)ただ一つに決定されているので、自由など存在しない」と考える)
(注釈2:ここでいう「直観」とは、分析によらず対象の特徴を直接発見することである)
『時間と自由』への感想:「私」だけの自由
<純粋持続>は時間の本質であると同時に自由の本質であるわけだが、ベルクソンは<純粋持続>の例として音楽のメロディーを挙げている。
私たちがメロディーを聞くとき、その音は互いに分割されることなく知覚される。
イントロからアウトロまでの流れは、川の流れのように連続的に継起する。
この「流れ」が本質的な意味での「時間」であり、またこの「流れ」はいかなる点においても分析不可能=決定不可能であるために「自由」である。
分割不可能=決定不可能な「流れ」の「自由」は、この「私」だけの自由である。
「流れ」という意識の経験は、他の誰とも共有できない。
もちろん「流れ」の経験を楽譜に記したり言葉にしたりすることはできるが、客体化された「流れ」は<純粋持続>ではない。<純粋持続>は質的な多様性であり、量的な手段(客体化)によって表現できないからである。
客体化を許さない<純粋持続>に至るのは容易ではない—「対象」として認識することができない以上、主体の意識全体が<純粋持続>と一致するしかない。主体と客体が、<純粋持続>という悠久の流れの中で一つになるしかない。
それは忘我、恍惚の次元であるが、その中にこそ、誰にも奪われることのない自由がある。
『時間と自由』と関連の深い書籍
『時間と自由』と関連の深い「西洋思想」の書籍
- スピノザ著・畠中尚志訳『エチカ−倫理学 上・下』、岩波書店、1951年
- スペンサー著・森村進訳『ハーバード・スペンサー コレクション』、筑摩書房、2017年
- ドュルーズ著・財津理訳『差異と反復<上>・<下>』河出書房新社、2007年
- ニーチェ著・原佑訳『ニーチェ全集<12>・<13> 権力への意志 上・下』、筑摩書房、1993年
『時間と自由』と関連の深い「形而上学」の書籍
- アリストテレス著・出隆訳『形而上学 上・下』、岩波書店、1959年
- プロティノス著・田中美知太郎;水地宗明;田之頭安彦訳『エネアデス<抄>1・2』、中央公論新社、2007年
『時間と自由』と関連の深い「認識論」の書籍
- カント著・中山元訳『純粋理性批判 1〜7』、光文社、2010-2017年
- メーヌ=ド=ビラン著・増永洋三訳『人間学新論―内的人間の科学について』、晃洋書房、2001年
- メルロ=ポンティ著・滝浦静雄;木田元訳『見えるものと見えないもの 付・研究ノート』、みすず書房、2017年
『時間と自由』と関連の深い「言語哲学」の書籍
- ウィトゲンシュタイン著・丘沢静也訳『論理哲学論考』、光文社、2014年
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