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はじめに:初心者が哲学書の冒頭で挫折しないために
哲学書を読むのは難しい…
みなさんこんにちは。ライターのらりるれろです。
早速ですが、みなさんは哲学書を読破できていますか?
ハイデガーやカント・デカルトといった有名な哲学者の本を買ってきて、「さあ読むぞ!」と思っても、
数ページ読んでるうちに「ん?」「あれ?」となってきて、知らないうちに訳がわからなくなっている、なんてことありませんか?
哲学書の内容って、普通の本の内容とは違うことが多くてすごく違和感を感じますよね。
違和感を放置しながら読んでいくと、気づかないうちに置いてけぼりにされてしまいます。
難解な哲学書を読み進める上で大事なのは、違和感が小さいうちに(その本の冒頭で)、違和感を小さくしながら読むようにすることなのです。
そこでこの記事では、『存在と時間』というハイデガーの大著を例に、冒頭で「違和感」を消しながら読み進めるための具体的な方法を伝授します。
この記事はこんな人におすすめ!
- 哲学書を買ったものの、挫折して本棚の奥にしまっている人
- 哲学書を読みたいが、読める自信がない人
初心者向けの哲学書の冒頭の読み方:『存在と時間』の1ページ目
以下では、ハイデガーの『存在と時間』(細谷貞雄訳、筑摩書房、1994年)の冒頭1ページ目を、実況形式で読み進めていきます。
『存在と時間』をお持ちの方は、ぜひ1ページ目を開きながらこの記事を読んでみてください。
冒頭1ページの内容は以下の通りです。
基本的に、初心者の方が読んで「ん?」と違和感を感じるであろう部分に傍線を引いています。以下では、この傍線を引いた部分の「読み方」を一つずつ解説していきます。
1ページ目で「違和感」を感じるであろう部分は、概ね以下の6点だと思います。
- 「存在への問いをあからさまに反復する必然性」とはどういうことか?
- 「形而上学」とは?また形而上学を「再び肯定する」とはどういうことか?
- 「存在をめぐる巨人の戦いの労苦からすでに解放されたと信じている」…ん?
- 「プラトンとアリストテレスの探究生活をやすみなくひきつけていた」…のか?
- 「現実的な討究の主題的な問い」とは?
- 「彩色」に「」がついてるのはなぜ?
さすがハイデガー。1ページ目から読者の理解を周回遅れにさせてきますね。
ですが読者である私たちは、別にハイデガーの語りのスピードに合わせる必要はありません。わからないところは逐一ツッコミを入れながら、少しずつ前へ進んでいけばいいのです。
では、1つずつツッコミを入れて読んでいきましょう。
「存在への問いをあからさまに反復する必然性」とはどういうことか?
タイトルから訳わからんのは勘弁いただきたいですね(笑)。
まあ、タイトルになっているということは、これからの記述で明らかになるということなので、とりあえず保留しておきましょう。
考えてわかりそうではないことについては、保留する。コレは結構大事なことなので、覚えておいてください。
「形而上学」とは?また形而上学を「再び肯定する」とはどういうことか?
形而上学…。聞き慣れない言葉だし、なぜか「」が付けられています。しかも、「再び肯定する」とかいう謎の動詞が付けられています。
「形而上学」という言葉の意味にヒントがあるかもしれませんので、Wikiってみます。
「形而上学」とは、感覚を超えた、世界の根本的な構造とか、存在とかを問う学問というわけですね。
「再び肯定する」って書いてあるのは、哲学史上「形而上学」は何度も問われ直されてきたってことなんですかね?
Wikiのページを、もう少しまで見てみましょう。
なるほどなるほど、やはり形而上学の問題は、昔から現代までずっと問われているんですね。
よく見たら、「現代」の中にハイデガーの名前があります。ハイデガーは形而上学を問題にしたいみたいですね。
「存在をめぐる巨人の戦いの労苦からすでに解放されたと信じている」…ん?
…ん??
これは…「ちょっと何言ってるかわかんない」ってやつですね…。
一番意味不明な「存在をめぐる巨人の戦い」には※がついています。本書において※は「巻末の注釈を見てね」って意味なので、巻末のページを見てみましょう。
どうやら、「存在をめぐる巨人の戦い」とは、存在をめぐる主張の差によって生じた論争のことを指しているようです。だったらストレートにそう言ってくれればいいんですけどね。
ということは、「巨人の戦いから解放された」ってことは、存在をめぐる議論について決着が付けられたということを意味している…と考えられそうです。なるほど。
「プラトンとアリストテレスの探究生活をやすみなくひきつけていた」…のか?
うーん、唐突に古代の哲学者の人名が出てきました。プラトンとアリストテレスは、一体何を探究していたのでしょう?
直前の文に存在をめぐる問題が触れられていましたから、おそらくプラトンもアリストテレスも存在についての問題を取り上げていたのだろうと推察されます。
試しに「存在」でWikiってみましょう。
やはり、アリストテレスの名前がありますね。
じゃあアリストテレスが存在についてどう考えていたかっていうと…
わあ、意味わかんねぇ。
必要以上に長くなるので、ここではこれ以上追究しませんが、このWikipediaのページに出てくるよく分からない単語を調べるだけでも勉強になると思います。
お時間のあるときに、ぜひ試してみてください。
「現実的な討究の主題的な問い」とは?
またしても聞き慣れない日本語が登場しました。「討究」ってなんでしょう。
勘のいい人は字面でなんとなく意味を取れるかもしれませんが、残念ながら私はニブい男なのでググってみることにします。
なるほど、要するに研究・探究のことなんですね。
ということは、「現実的な討究の主題的な問い」を言い換えると「現実的な研究の主題になるような問題」ってことになりますね。
初めからそう言ってくれれば調べる手間が省けるんですがねぇ…。
「彩色」に「」がついてるのはなぜ?
さて、ようやく1ページ目の最後の方に到達しました。
プラトンとアリストテレスの探究(討究)によって得られた成果が、「いくえにも転位と『彩色』をほどこされて存続し」たそうです。
「彩色」という言葉に「」がついていますが、これは一体何を意味しているのでしょうか?
彩色というのは、もちろん字義通り「彩りをつけること」なのですが、「」がついている以上ここでは別の意味がありそうです。
この1ページ目の前半でハイデガーは、存在への問いが現在では忘れられているということに言及していました。
「忘れられている」と表現していることから、ハイデガーは現在の存在論について否定的であることがわかります。
そして、現在の存在論の姿が、プラトン・アリストテレスの時代から「いくえにも転位と『彩色』をほどこされて存続し」た結果ならば、その「彩色」はハイデガーにとって決して良いものではなかった、ということになります。
ですから、ここでの「彩色」は、「他の研究者は良かれと思ってプラトンやアリストテレスの議論を改善(彩色)したのだろうが、その『彩色』は良くないものだった」という皮肉めいたニュアンスが込められているのでしょう。
性格悪いですねぇ、ハイデガー。
おわりに:哲学書の1ページ目を乗り越えて、ゆっくり読み進めよう
いかがでしたか?
『存在と時間』の1ページ目を精読することによって、
「ハイデガーは、『存在』をめぐる問題を問い直そうとしているらしい」
ということがなんとな〜くわかってきたのではないでしょうか。
たったこれだけの主張を引き出すのに、随分と色々調べたなぁと思うかもしれません。
ですが、読んでいるときに生じる小さな違和感を放置していると、やがてその違和感のせいで読み進められなくなってしまいます。
難解な哲学書を最後まで読み続けるためには、わからない部分に出会ったときに丁寧に調べることが重要なのです。
初めは面倒くさいでしょうが、わからないことをこまめに調べながら哲学書を読む癖をつけましょう。知識が増えてくれば、そのうち何も調べなくてもスラスラ読み進められるようになります。
千里の道も一歩からということで、ゆっくりコツコツ頑張ってくださいね!
それでは!!