私の生い立ち:「整理」としての哲学

小学校:「整理」の不満

私は幼少期から、この世にはとにかく理屈が整っていないことが多いと感じていました。

小学校の時の話です。ある日、先生が私に言いました。

「年上には丁寧な言葉遣いで話さなければなりません」

その先生に対して、私は尋ねました。

「何故ですか?」

先生は、少しムッとして答えました。

「年下にタメ口を聞かれたら、嫌な思いをする人が多いからだよ」

幼い私は、その答えに納得できませんでした。「年下にタメ口を聞かれたら、嫌な思いをする人が多い」かどうかは、社会的・文化的な状況によって異なるから、何の前提条件もないならば「年下にタメ口を聞かれたら、嫌な思いをする人が多い」とは言えないだろうと思ったのです。

その旨を先生に伝えたら、

「屁理屈こねるな!」と言われてゲンコツを食らいました(まだギリギリ体罰が容認される時代だったのです)。

殴られた頭を冷やしながら、少しずつ冷静になった私は思いました。

「なるほど、理屈を教える学校ですら、理屈が整っているとは限らないのか。そうか、じゃあ本当に厳密に理屈を整えるためには、自分で考えるしかないんだな。」

そこから私は、この世の理屈が整っていない物事に、自分の手で少しずつ理屈を整える(=「整理」する)ようにしました。10歳の頃の話です。

中学・高校:「整理」の完成

「整理」する訓練を積み重ね、私は中学生になりました。ちょうどその頃、理屈を厳密に通すこの営みのことを「哲学」ということを知りました。

ですが私は、哲学を学ぼうとは思いませんでした。私はすでに哲学を実践していたのですから、わざわざ学ぶ必要はないと思ったのです。

そうして中学校、高校と考え続け、17歳になると身の回りの事象で「理屈が整っていない」と感じる事象はなくなってしまいました。

身の回りの事象を「整理」できたと感じたとき、私の中で一度哲学は終わりました。それ以上哲学という行為を続ける必要はないと感じたのです。

大学:「整理」の再開

高校を卒業し、大学へ進学した私は、人文科学を本格的に学び始めました。高校までとは違う本格的な学問の世界に触れていくうちに、私の中で一つの疑問がふつふつと浮かんできました。

私が「整理できた」と思っていた事象は、実はまだこんがらがったままなのではないか、と。

私の「整理」は、とても杜撰で素人仕事だったのではないか、と。

学問を深めていく中で、その疑問は確信に変わっていきました。懐かしくも不快な、あの「理屈が整っていない」というざらついた感覚がこの身に蘇ってきたのです。

こうなったら、もう止まりません。

肌にベトベトとまとわりつく「『整理』されていない」感触を振り払うべく、いつの間にか私は哲学という学問の道を走るようになっていました。

自分の意思で哲学を学び始めたというより、「学ばなければならない」という危機感に飲み込まれた、という感じです。とにかく、気がつけば私は哲学の学問世界にいました

現在:「整理」の快楽

哲学の学問世界に入って約2年。わからないことが深まるばかりでしたが、一つだけ確信できたことがあります。

哲学とは、やはり「理屈を整える=整理する」行為であるということです。

この世界のこんがらがった知的世界を、独自のフレームワークにしたがって「整理」する。何の秩序もなかった概念空間に、一つの体系を与える。知的世界の体系の中に「余白」を見つけ、知が進むべき道をその余白の中に見出す……。

哲学によって知的世界が整理されることで、この世界の理性は進むべき道を見出せる。これほど支配的で、刺激的で、暴力的で官能的な学問は他にありません。

ぜひ皆さんにも、この快楽を味わってもらいたい。世界を整理するときの、あの血湧き肉躍る感覚を体験してもらいたい。

そう思って、私はこのウェブサイト「大学生のためのオンライン図書館(OLUS)」を立ち上げました。

私の専門領域:現象学的存在論

私の専門は、フランス現代思想という領域の中の「現象学的存在論」という分野です。特にエマニュエル=レヴィナスという哲学者の思想における存在論を研究しています。

「現象学的存在論」とは、(諸説ありますが)要するに存在を現象として捉える考え方のことを指します。

私たちは普段、今目の前に見えているものが実際に存在しているということを信じて疑いません。

しかし、今目の前にあるものは「目の前に見えているもの」であるだけで、「本当に存在している」かどうかはわからないはずです(目の前に座敷童がいるなら、その童はおそらくあなたの幻覚でしょう)。

より正確に言えば、私たちにとっての「存在」とは、何らかの形で私たちの意識に「現象」しているものであると言えます。

目の前に見えている「存在」が本当に存在しているかというクソ難しい問題に立ち向かうためには、第一に「存在」がどのようにして私たちの意識に「現象」しているか考える必要がある。「存在」の「現象」の仕方から、この世界の真「存在」を考え直してみよう——これが、現象学的存在論の基本的な考え方です。

「まだよくわかんねぇわ」と思う方は、ぜひ以下の記事をご覧ください。多少は理解の助けになるかもしれません。

私の大学内外での活動・業績

最後に、簡単に私の大学内外での活動・業績について紹介しておきます。

学内での活動・業績

早稲田大学では、毎年度各学部各学年の成績上位1〜2名を「大隈記念奨学生」として表彰しているのですが、私は2018年度から3年度連続でこの大隈記念奨学生に選抜されています。1年前期以外は満点を維持している(下の写真参照)のですから、当然と言えば当然なのですが……。

また私は、早稲田大学人間科学部で特例として認められている「3年卒業制度」の適用を受けているため、2020年現在「大学3年目で4年生」というイレギュラーな立ち位置にあります。

「3年卒業制度」とは、いわゆる「飛び級」という制度のことなのです。気になる方は以下の記事をご覧ください。

学外での活動・業績

私は、2020年3月から「レヴィナス協会」という学会に所属し、定例会や読書会に参加させていただいております。次の定例会で論文発表するのが現在の目標です。

哲学関連の外では、高校生・受験生向けに勉強に関する様々な情報発信を行う合同会社「合格サプリ」という組織に所属し、WEBサイトでの記事執筆・編集事業や自社YouTubeチャンネルでの動画作成事業に関わっています。

クソ忙しいですが、クソ忙しいなりになんとか今日も生きながらえています。これからも細々と生きていけるよう、お力添えしていただければ幸いです。